条件付きの幸福

結論
無条件で幸せだと思うことが一番最初。

 

スポーツやゲームが強いという事実が幸せに繋がると信じていた。強い→勝てる→格好いい→自己実現→幸せ。お金だってそう。大金がある→幸せ。

 

全くもって事実であり真実である。だからおれは強さを求めたし大金を求めた。今もそれを間違いだとも思っていない。

 

だけど、強さや大金を求める前にやっておかなかければならないことがある。

 

それが

 

 

無条件で100%幸せだと思うことだ。

 

 

それができないなら強さや大金を求めてはいけない。それができないのに強さや大金を求めると不幸になる。強さがあれば幸せ、大金があれば幸せ。それは間違いない。しかし、それだけだと強さや大金がいつまで経っても得られなかった時に何も残らない。圧倒的な虚無感が押し寄せてくる。不幸だ。そして、何も成果が無いことを嘆き出す。

 

強さや大金みたいな、条件付きの幸福を求めていいのは、今の状態で100%幸せだと思えるやつだけだ。つまり無条件の幸せを息を吸うより簡単に感じれるやつだけなんだ。手があって最高だ。目があって最高だ。命があって最高だ。それを忘れたとき、足元が崩れ去り不幸に飲み込まれる。

 

今ある幸せも忘れて自己憐憫をするような人間に、条件付きの幸福を求めるのは100万年早い。