てきとーにいきてます

コインを投げて表なら五万円獲得できる。裏なら五万円没収される。

というゲームがあったとしたら、やらない人が大半らしい。

つまり人間の本能は損をしたくない。ということだ。

とりあえず死なない択を選ぶらしい。

 

この話を聞いたときに自分の経験と照らし合わせた。

確かに、やったら得だと思ってると案外やれないことに気付いた。

やらないと損だと思ってる方がやれる。やらないと損だと思ってもそれでもやれないなら、もう辞めた方がいい気がする。

 

いま個人事業をやっているが、正直ダルい作業が多い。でもやらなかったら10億の損失が出ると思ってやりだしたら案外進む。今から10億稼ぐつもりでやると、なかなか手につかない。

 

まあ理屈はわかっても人間なかなか変われない。でも最近は変わり方すら覚えてきた。変わるには重要なことを重要だと認識するだけでいい。ウサギはライオンに遭ったら全力で逃げる。食われるのを本能レベルで理解しているからだ。

 

おれたちもそうやって理解していることを増やしていけば変われる。変われないうちはそれを大して重要だと思ってないのだ。それでも人生は回るから、大半の人は納得して生きている。おれは10億円を手にするので、常に高みを目指す。

奢りたくなったよ

痛いことを痛くないと思うのは無理がある。

楽しくないを楽しいと思うのは感じ方を変えたらいけそうな気がする。

「楽しくないな」って、嘘じゃない。でも本当は楽しむ気がないだけなんじゃないだろうか。その楽しむ気ってのは自分で起こせるんじゃないだろうか。

面倒くさいのは面倒くさいと思いたいだけなんじゃないだろうか。

自然に湧き上がってくるものが全てではないはずだ。

むしろ自然に湧き上がってくるものを全てだと思っているから、色んな悩みにぶつかってしまうんじゃないか?

体の動かし方が上手かったらスポーツは上達するっていう話をしたんだけど、考え方、感じ方もスポーツと同じような気がする。恵まれてるのに文句しか言わない、幸せを感じない幸せ音痴の人もいるし。

全く考えないのも良くないし、考えすぎるのもよくないなって最近は感じる。

 

そういえば今日は大学生二人と話した。大学生らしさを感じた。これからまた色々体験するんだろうな。二人ともおれの反応しづらそうな話をいっぱい聞いてくれたので、なんか買ってあげたくなった。おれがお金稼いだら好きなものを買ってあげよう。予算1万くらいで。

やってみたら意外と楽しい

最近なにをやるにもやる前からやる気をなくしていた。

でも、やりだしたら意外と楽しい。

でもやる前はやる気がないというかむしろやりたくないと思っている。

この現象は何なんだろうか。

頭の中でどれくらいの楽しさなのかやる前に勝手に決めつけてしまう癖があるみたいだ。

これは本当に良くない。

 

人生詰まらないなら手当たり次第にやってみるしか選択肢がないのに、やる前から否定していたら、ずっとつまらないことだけ確定している。

 

でも不思議なことに、やる前は本当に「どうせやってもつまらない」と感じる。

今まで頭をあてにして生きてきたからだろうか?

 

仕事いってもつまんねえな辛いなって思った朝でも、やりだしたら意外といける。

本当につらい時も少しはあったけど。

 

今は潜在意識のレベルで「頭で想像した楽しさを基準に行動する」という考え方が脳に入っている。だからこれからは「その楽しさはやってみるまで絶対にわからない」という考え方を脳に入れた方が得だ。もちろん潜在意識のレベルで。

 

これはもう朝から晩まで口に出して言うようにすると潜在意識に入る感覚があって、何か考え方を変えたい時は私はよくこの方法を使っている。

 

ここでいう潜在意識のレベルって言うのはわかりやすく言うと、無意識レベルでそう考えられるってこと。

意外とやってみたら発見があるってことで生きていかないとおれみたいに死んだ魚の目で生きることになる。だって頭の中で何を想像してもつまんないんだもの。そして何もしなくなる。

 

勉強するの辛いやる気が起きないって思っても、やりだしたら意外と進んだりする。

実際やってみて辛かったらやめればいいだけの話であって、やろうとして辛いってのはなんか変だということに早く気付くべきだった。

納税日本一の斎藤一人さんによると、脳いうものはじゃじゃ馬で、コントロールできる人はなかなかいないらしい。

 

 

これまでいっぱい思い込みに騙されてきたしこれからも騙されるだろうけど、少しでも楽しい人生を送りたい。

その日○○は思い出した

不幸とは???

おれより不幸なやつってのは沢山いる

あの超有名な本、FACTFULLNESSによると日本人は上位1%だか5%だか、それぐらいの豊かさだそうだ。バ先の社長に借りて読んだけど、詳しい数字は忘れた。今日の飯もない人たちがかなりいるらしい。

 

7年前、おれは夜中の3時に家を抜け出して、夜のド田舎を走っていた。

 

マジで殺される!

 

という統合失調症によくある妄想に追いつめられていた。なんか民家のドアをたたいて「助けてください!殺されます!」とか全力で叫んだ記憶がある。いい迷惑だ。そしておれは見知らぬアパートに追いつめられて、記憶があいまいだが、二階から飛んだらしい。まあ実際は誰も追いつめていないのだが、統合失調症は恐ろしい。

 

腰の骨がバキバキに割れたらしく体が起き上がらない。もうどうでもよくなった。そのときポケットに何か入っているのを見つけた。携帯電話だ。

「まあ、生きるのも怠いけど、体が痛いし助けてもらおうかな…」

意識朦朧の中で親に電話してそこから119かなんかで助けられたらしい。

腰の骨がばっきり折れていた。すぐに手術をしなければならない。

だが、そんなことはどうでもよかった。

 

なによりも心が死んでいた。20歳。自分の存在が虫以下だと思った。

今思えば虫に失礼だ。何のために生きているのか全く分からない。楽しくもないから死んだ方がマシだ。ゴミはゴミらしく終わっとくか。めんどくせえ。

 

でも、死ぬのも苦しいしめんどくせえと思っていた。

そして最低な気分の中で一つだけ、確信があった。

「おれが優秀すぎるからこれくらいのハンデがないと生まれてきた意味がないってことか」

 

なんもやる気でねえけど、競争なら負けねえ。

ってか色々負けて悩んでるからこんなに惨めなんだが、

諦めの悪さ、負けたくねえって気持ちなら負けねえよ。まだ人生終わったわけじゃねえ。おれはあくまでも人と比べて上に行ってやる。そうじゃなきゃ納得いかねえ。上に行って、それでいて優しい人間になってやる。

 

友達なんて一人もいないから、がんばったって誰かに認めてもらえるわけじゃない。でもおれがおれであるために、最後まで戦って死んでやる。

 

何ヶ月かの入院中、病院のベッドの上で毎日そんなことを考えていた。

 

 

戦うって言ったって何を目指すのか、考えるまでもなくお金しかないと思った。

お金で買えるものなんて大したことないかもしれないけど、生きていくのにもお金が要る。一年で10億くらいは稼いでやる。そう決めた。

 

 

7年後の今、収入は全くの0である。

もうお金はいいやなんて気持ちはない。

まだ追っている。現状の収入は全くの0だ。

大変恥ずべきことだ。

20歳の時の惨めな気持ち、忘れてはいけなかったものを長いこと置き去りにしていた。原点回帰。感謝で宇宙は回りだす。あの時の最低で惨めな気持ちを思い出した。